東京出張の帰路、東海道に点在する徳川ゆかりの城を辿る旅。
この日は旅の2日目。若き日の徳川家康の歩みを、城を通して体感する行程となった。
訪ねたのは、出世城として知られる 浜松城(旧・引間城)、そして家康生誕の地 岡崎城。
奇しくも、家康の前半生をなぞるような城巡りとなった。
出世城・浜松城と、その前身 引間城で見る「敗北と覚悟」
三方ヶ原台地の南端に築かれた浜松城。
しかし、この地に最初に城が築かれたのは家康の時代ではない。もともとは今川方の城として築かれた引間城が前身である。
引間城は15世紀後半、今川氏の勢力下でこの遠江支配の拠点として築かれたとされる。築城者は明確ではないが、今川氏の家臣・飯尾氏が関わったとも伝わる。遠州平野を一望でき、東海道を押さえるこの地は、軍事・交通の要衝だった。
1568年、徳川家康が遠江へ侵攻。翌1569年、家康はこの引間城に入り、大規模な改修を行う。
縄張りを戦国後期の実戦仕様へと作り替え、城名を「浜松城」と改めた。
つまり浜松城は、ゼロから築かれた城ではなく、引間城という中世城郭を、家康が近世城郭へと進化させた城なのである。
この城の最大の特徴は、地形の使い方にある。台地の縁を利用し、遠州平野を見渡す要害の地。西からの脅威、すなわち武田勢の侵攻を強く意識した縄張りだ。
1573年、家康は 三方ヶ原の戦い で 武田信玄 に大敗。命からがら浜松城へ逃げ帰る。
城門を開き、かがり火を焚いて敵を迎え撃つ姿勢を見せたという逸話はあまりにも有名だ。
本丸に立つと、なぜここが「最前線の城」であったかが直感的に分かる。自然地形と石垣が一体となった防御は、まさに戦国の合理性。
荒々しい野面積みの石垣も見どころ。後世の整然とした石垣とは異なり、実戦の緊張感を今に伝える。
この城は、家康にとって屈辱の記憶と、天下人への覚悟が刻まれた場所。
そして後に、歴代城主から幕府要職者を多く輩出したことから、「出世城」と呼ばれるようになった。
その原点には、引間城という中世城郭の存在があることを、現地に立つと強く実感できる。
岡崎城で見る「誕生」と「自立」、そして「近世城郭への進化」
乙川と矢作川に挟まれた天然の要害に築かれた 岡崎城。
ここは単に「家康生誕の城」というだけではなく、松平氏の本拠から徳川家へと変貌していく過程を体現する城でもある。
築城は15世紀中頃、西郷頼嗣とされ、その後松平氏が入ることで三河支配の拠点となった。城の立地はまさに戦国的合理性そのもの。北を流れる乙川、南の矢作川という二つの大河に守られ、川を天然の外堀とする「川の城」である。
1542年、この城内で 徳川家康(当時は松平竹千代)が誕生する。
しかし家康の幼少期、岡崎城は決して安定した拠点ではなかった。今川氏の支配下に入り、家康は人質として駿府へ送られる。つまり岡崎城は、家康にとって生まれ故郷でありながら、自分の城ではなかった場所でもある。
転機は1560年、桶狭間の戦い。
今川義元が討たれると、家康は岡崎へ帰還。ここで今川からの独立を果たす。
この瞬間、岡崎城は
「松平の城」から「徳川の城」へと意味を変える。
ここを拠点に家康は三河統一を進め、のちの天下取りへと繋がる基盤を築いていく。
縄張りに見る戦国から近世への変化
岡崎城の魅力は、現在の復興天守よりも縄張りの構造にある。
本丸・二の丸・三の丸が段階的に配置され、川と曲輪、土塁と堀が有機的に結びついている。これは中世城郭の名残を色濃く残しながら、近世城郭へと発展していく過程を示している。
特に注目したいのは、本丸背後の高低差。台地の縁を巧みに使い、攻め上がる敵に対して幾重にも防御線を張る構造になっている。これは後の浜松城にも通じる、家康好みの地形利用と言える。
また、乙川沿いのラインを歩くと、川そのものが巨大な空堀の役割を果たしていることが体感できる。地図で見る以上に、現地ではその防御力がよく分かる。
家康にとっての岡崎城の意味
岡崎城は
- 生まれた城
- 人質に出るために離れた城
- 独立して最初に戻ってきた城
- 三河統一の出発点の城
つまり、家康の「原点」と「出発点」の両方を担う、極めて象徴的な場所である。
浜松城が武田との最前線で家康を鍛えた城だとすれば、岡崎城は家康が“徳川家康”として歩み始めた城なのである。
現在の天守は復興だが、曲輪の配置、川との位置関係、地形の使い方を意識しながら歩くと、この城が持つ戦国的リアリティが鮮明に浮かび上がってくる。
東海道で“線”になる城の歴史
浜松から岡崎への移動。
この移動そのものが、東海道という歴史の軸線を体感させてくれる。
城は点在する「点」ではなく、街道によって「線」で結ばれている。実際にその線を辿ることで、歴史が立体的に見えてくる。
家康の前半生を体感した2日目
- 誕生と独立の城・岡崎城
- 敗北と覚悟の城・浜松城
この二城を同日に巡ることで、徳川家康の若き日々が、年表ではなく「地形」として心に刻まれた。
帰阪、そして旅の余韻
夕刻、岡崎を後にして帰阪。
東海道を辿る城巡りの締めくくりにふさわしい、濃密な一日だった。
家康の原点と試練を辿ることで、天下人への道のりがより鮮明に感じられた。



















