南丹市の山城をめぐる|南八田山城と園部城

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京都府南丹市へ城跡巡りに出かけ、今回は山の中に残る中世の山城「南八田山城」と、園部の町の中心に残る「園部城」を訪ねました。

同じ南丹市にある二つの城ですが、その性格は大きく異なります。南八田山城は山の地形を巧みに利用した中世山城。一方の園部城は、江戸時代に園部藩の政庁として築かれ、幕末から明治初期にかけて本格的な城郭へと姿を変えた城です。

山城と近世城郭。時代の異なる二つの城を続けて訪ねることで、南丹の歴史をより立体的に感じることができました。

山の中に残る南八田山城

まず向かったのは、園部町南八田に残る南八田山城です。

南八田山城は標高約200mの山に築かれた山城で、現在も山中には城の遺構が残されています。南丹市周辺には、園部城だけではなく、このような地域に根差した中世山城が数多く存在しています。

登城口から山へ入ると、いきなり山城らしい急な斜面が待っています。舗装された道を歩いて城跡へ向かう園部城とは違い、南八田山城では自然の山そのものが城の一部です。

急斜面を登っていくと、尾根筋へと入り、やがて城跡らしい雰囲気が感じられるようになります。

特に印象に残ったのが堀切です。

堀切は尾根を人工的に切り込むことで、敵が尾根伝いに侵入してくるのを防ぐための山城の基本的な防御施設です。南八田山城でも堀切の跡を見ることができ、山の地形を利用しながら防御を固めていたことが伝わってきます。南八田の山城については、地域のウォーキングでも急斜面を登った先で堀切跡が確認できることが紹介されています。

山城を歩いていると、現在は静かな山の中であっても、かつてはこの場所が人の往来を監視し、敵の動きを警戒する場所だったのだろうかと想像が膨らみます。

石垣や立派な建物が残る城ではありませんが、土の形や山の起伏そのものから城の姿を読み取るのが山城巡りの面白さです。

南八田山城も、そんな「山そのものが城」という感覚を味わえる城跡でした。

山城から園部の城下町へ

南八田山城を後にして、次に向かったのが園部城です。

南八田山城のような中世山城から、園部藩の政治の中心となった園部城へ移動すると、城の役割が大きく変化していくことがよく分かります。

園部城は、元和5年(1619)に但馬国出石から移封された小出吉親によって築かれた園部陣屋を起源とします。小出吉親は約3万石を領して園部藩を立藩し、その後、小出氏は10代にわたって園部を治めました。

当時は幕府から正式に「城」と名乗ることを許されなかったため、正確には園部陣屋と呼ばれていました。

しかし、その規模や構えは単なる小規模な陣屋ではありません。

小麦山を背後に控え、城下町を形成しながら、外郭を含む広い城域が整えられていました。京都府の資料でも、小麦山を中心として築かれた園部陣屋は、背後に園部川が流れ、周囲の地形を利用した構えだったことが紹介されています。

幕末に「城」へと変わった園部城

園部城を語るうえで特に興味深いのが、幕末から明治初期にかけての歴史です。

幕末、京都をめぐる情勢が緊迫すると、園部藩は陣屋をより本格的な城郭へと改修することを計画しました。

そして幕府への申請などを経て、最終的には明治新政府のもとで城郭への改修が進められます。

明治2年(1869)には、櫓門や櫓などを備えた本格的な城郭として整備されました。京都府埋蔵文化財調査研究センターの資料でも、現在残る櫓門や隅櫓、城壁などがこの時期の造作によるものとされています。

つまり園部城は、江戸時代初期に「陣屋」として始まり、幕末の動乱を経て、明治という新しい時代になってから近世城郭として完成したという、非常に珍しい歴史を持つ城なのです。

「日本最後の城」と呼ばれる園部城

園部城が全国の城好きから注目される大きな理由が、「日本最後の城」と呼ばれていることです。

一般的な城のイメージでは、戦国時代から江戸時代初期に築かれ、江戸時代を通じて存在した城を思い浮かべます。

ところが園部城は、その歴史が少し違います。

城の原型となった園部陣屋は江戸時代初期に築かれましたが、現在「園部城」として知られる本格的な城郭へと改修されたのは明治維新の前後。まさに日本の近世城郭の歴史が終わろうとする時期に完成した城です。

南丹市も園部城を「日本で最後に築城された城」と位置付けており、「ファースト天神、ラストキャッスル」をキーワードに園部の歴史を紹介しています。

激動の幕末を乗り越え、新しい時代に入ったところで完成したという点が、園部城の大きな特徴です。

現在も残る園部城の遺構

現在の園部城跡は、京都府立園部高等学校の敷地を中心としています。

当時の城郭がすべて残っているわけではありませんが、城門や隅櫓、番所、城壁などを見ることができます。京都府観光連盟によれば、城門や隅櫓、城壁の一部が往時の姿を伝えており、巽櫓・城櫓門・城番所は府の暫定登録文化財となっています。

実際に現地に立つと、学校の校門として利用されている城櫓門などが目に入り、現在の町の風景の中に城の歴史が自然に溶け込んでいることを感じます。

城跡というと、広大な石垣や天守を想像してしまいますが、園部城では、残された門や櫓、石垣などを一つひとつ見ながら、かつての城郭を想像する楽しさがあります。

また、背後にある小麦山にも目を向けると、この城が山と一体となって築かれていたことが分かります。

二つの城から感じる南丹の歴史

今回訪れた南八田山城と園部城。

どちらも南丹市にある城跡ですが、そこから感じられる歴史はまったく違います。

南八田山城では、山の急斜面や尾根、堀切などを利用した中世山城の姿。

園部城では、小出氏が園部藩を治めるために築いた陣屋、そして幕末から明治初期にかけて本格的な城郭へと変化していった歴史。

一つの地域の中で、山城から陣屋、そして近世城郭へと続く歴史をたどることができます。

南丹市は現在でも城下町としての面影を残しており、園部城を中心に歴史的な町並みや文化遺産が点在しています。

今回の城跡巡りでは、南八田山城の山城歩きで汗をかき、その後に園部城へ向かいました。

華やかな天守を持つ城とはまた違い、山の中に残る堀切や、町の中に残る櫓門など、わずかに残された遺構から歴史を想像するのも城跡巡りの大きな魅力です。

南丹市を訪れるなら、園部城だけでなく、周辺に残る中世山城にも目を向けてみたいところです。

今回の南八田山城と園部城巡りも、南丹という地域の歴史を改めて感じる城跡巡りとなりました。