丹波の山城・籾井城と八百里城|戦国の歴史を訪ねて

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丹波篠山市に残る山城、籾井城と八百里城へ登城しました。丹波篠山には、八上城をはじめとして戦国時代の山城が数多く残されています。今回訪れた籾井城と八百里城も、地域を支配した国人領主の居城として築かれ、戦国時代末期には明智光秀による丹波攻略の舞台となった城です。どちらも山の地形を巧みに利用した山城で、実際に登ってみると、それぞれの城の特徴を感じることができました。

籾井氏の居城・籾井城

まず訪れたのは、丹波篠山市福住にある籾井城です。籾井城は標高約390mの城山に築かれた山城で、「福住城」「安田城」とも呼ばれています。福住は京都方面へ通じる街道が通る交通の要衝で、戦国時代にはこの地域を支配した籾井氏の拠点となりました。籾井氏は八上城を本拠とした波多野氏の勢力下にあり、籾井城は丹波東部を守る重要な城だったと考えられています。

籾井城の築城年代には諸説ありますが、戦国時代には籾井氏が居城として整備し、城主の籾井越中守教業は「丹波の青鬼」と呼ばれた武将として知られています。織田信長の命を受けた明智光秀が丹波攻略を進めると、籾井氏も光秀の軍勢と対峙することになります。天正年間には籾井城をめぐって激しい戦いが繰り広げられ、最終的には明智軍によって落城したと伝えられています。

山頂に残る籾井城の遺構

山道を登って山頂部へ向かうと、主郭を中心に曲輪が配置されていることが分かります。主郭跡のほか、二の丸、三の丸などの曲輪が連続し、尾根筋には堀切が設けられています。特に堀切は、尾根を大きく断ち切ることで敵の侵入を防ぐ、山城ではおなじみの防御施設です。土塁なども残されており、山の地形を利用して防御を固めた戦国山城の姿を感じることができます。

籾井城を歩いていると、単に山頂を平らにしただけではなく、尾根や斜面を利用して曲輪を配置し、敵が攻め込んでくる方向を意識して防御施設を築いていることがよく分かります。現在は登山道も整備されており、遺構を確認しながら登城を楽しむことができます。

急登が待ち受ける八百里城

続いて向かったのが、丹波篠山市瀬利にある八百里城です。八百里城は標高442mの八百里山に築かれた山城で、こちらは籾井城とはまた違った登城の厳しさがありました。

八百里城への道は、山城巡りに慣れていてもなかなか手応えがあります。特に登りが進むにつれて斜度が増し、急登が続きます。山道を歩いていると、「まだ登るのか」と感じるほどの急な登りもあり、八百里城はまさに「登ること」そのものが印象に残る山城でした。

しかし、苦労して登った先に城跡があるからこそ、山頂に到達したときの達成感も大きくなります。急な斜面を登りながら、「この険しい山を選んで城を築いた」という戦国の人々の意図も少し感じることができました。

畑氏の居城・八百里城

八百里城は、南北朝時代までさかのぼる歴史を持つと伝えられています。その後、畑氏がこの地域を支配するようになり、戦国時代には波多野氏の勢力下に置かれました。

戦国時代末期、明智光秀による丹波攻略が進められると、八百里城もその戦いに巻き込まれます。天正7年(1579)には明智軍の攻撃を受け、激しい戦いの末に落城したと伝えられています。城主の畑守能やその一族についても、戦いの中で命を落としたとする伝承が残っています。

籾井城が明智光秀の丹波攻略の過程で落城したのに対し、八百里城もその数年後、丹波攻略の最終段階で戦いの舞台となりました。こうして二つの山城を続けて訪ねてみると、当時の丹波で国人領主たちがそれぞれの城を拠点に勢力を維持し、最後には織田方の大軍勢と対峙することになった歴史が見えてきます。

八百里城に残る曲輪と土塁

苦労して急登を登り切った先には、山頂を中心として曲輪群が残されています。主郭と考えられる曲輪を中心に、尾根に沿って複数の曲輪が配置され、土塁などの遺構も確認できます。

八百里城では、山頂部分だけでなく周辺の尾根にも城の遺構が広がっています。山そのものを城郭として利用し、曲輪を段状に配置することで、敵の侵入に備えていたことが分かります。

急登を登っているときには、とにかく山の高さと斜面の厳しさに目が向きますが、山頂で城跡を歩いてみると、なぜここに城を築いたのか、その理由も実感できます。攻める側にとって、この急斜面そのものが大きな障害になるからです。

籾井城と八百里城を歩いて

今回訪れた籾井城と八百里城は、どちらも丹波の戦国史を語るうえで興味深い山城です。籾井城では籾井氏と明智光秀の戦いを、八百里城では畑氏と丹波攻略の歴史を感じることができます。

そして、実際に山を歩いてみると、地形そのものが城の防御施設になっていることがよく分かります。堀切や土塁、曲輪といった遺構だけを見るのではなく、「なぜこの場所に築いたのか」「敵はどこから攻めてくるのか」と考えながら歩くと、山城巡りはさらに面白くなります。

特に八百里城は急登が続き、登城にはかなりの体力を使いました。それでも、急な山道を登り切って城跡にたどり着いたときの達成感は格別です。

丹波篠山には、まだまだ多くの山城が残されています。華やかな天守や石垣を持つ城とは違い、丹波の山城では、山の形そのものを利用した戦国時代の城づくりを感じることができます。今回の籾井城と八百里城も、そんな山城の魅力を十分に味わえる二城でした。

最後は篠山城へ

二つの山城を巡った今回の城跡巡り。最後に立ち寄ったのが、丹波篠山市の中心部にある篠山城です。

今回の目的は、登城した八百里城と籾井城の御城印を購入すること。山の中で戦国時代の山城を歩いたあと、篠山城へ立ち寄り、二城の御城印を手にすることで今回の城巡りを締めくくりました。