会津若松に宿泊した翌朝。まだ観光客の姿も少ない時間帯に、まずは会津若松城(鶴ヶ城)をぐるりと一周する早朝散策から、この日は始まりました。
その後、「千田嘉博先生と行く!春の会津鶴亀ツアー ~会津の城の石垣と土塁を愛でる~」に参加。さらに、ホテルへ戻る途中で興徳寺(蒲生氏郷墓所)にも参拝することができ、会津の城と歴史を立体的に感じる一日となりました。
ツアー前の早朝散策|静寂の鶴ヶ城を歩く贅沢な時間
朝の澄んだ空気に包まれた会津若松城(鶴ヶ城)。堀端を歩き、高石垣を見上げ、曲輪の配置を確かめるようにゆっくりと城内を巡ります。


この城の歴史は幕末よりはるか以前にさかのぼります。はじまりは中世、蘆名氏の本拠「黒川城」。その後、天正18年(1590)に入部した蒲生氏郷によって、近世城郭へと大改修が施されました。氏郷は城下町を整備し、城の名を「若松」と改め、会津を奥州支配の要とする都市へと生まれ変わらせます。現在見られる高石垣や広大な水堀、計算された縄張りは、このときに築かれた城の骨格です。




その後、加藤嘉明の時代に天守が整備され、さらに保科正之が会津に入ることで、徳川家と強く結びついた会津藩の歴史が始まります。質実剛健を重んじる藩風と、武士道精神を育んだ城下町は、長い時間をかけて形づくられていきました。


そうした積み重ねの歴史があったからこそ、慶応4年(1868)、戊辰戦争の会津戦争において、この城は「最後の拠点」となります。


城を取り囲む広大な水堀。高く反り上がる石垣。屈曲した虎口。
これらは単なる造形美ではなく、この戦いの中で実際に機能した防御設備です。
新政府軍は周囲の高台から激しい砲撃を加え、城下町は炎に包まれました。とくに飯盛山方面からは城の様子がよく見え、のちに悲劇へとつながる出来事が起こります。
城内に籠もっていたのは藩士だけではなく、女性や子ども、多くの町人たち。鶴ヶ城はまさに「最後の拠点」でした。


そしてこの戦況の中、城下の炎を見て「鶴ヶ城が落城した」と誤認し、自刃したのが白虎隊の悲劇です。
石垣の傷、堀の幅、曲輪の構成。それら一つひとつが、会津藩がなぜ一か月も持ちこたえられたのかを雄弁に物語っているように感じられました。
観光地としてではなく、戦場としての鶴ヶ城を実感できたのは、早朝の静寂があったからこそでした。




会津若松市文化センター集合|事前レクチャーで視点を整える
集合場所は会津若松市文化センター。
出発前に、城郭研究の第一人者である千田嘉博先生によるレクチャーが行われました。


会津の城の特徴、石垣と土塁の見どころ、縄張りの意図。これから訪れる場所を「理解してから見る」という流れにより、見学ではなく“確認”の城巡りへと意識が切り替わっていきます。


亀ヶ城(猪苗代城)|土塁と空堀が残る中世城郭の魅力


最初の訪問地は、亀ヶ城(猪苗代城)。現在は公園として整備されていますが、地形には中世城郭の姿が色濃く残っています。
この城は南北朝期にさかのぼるとされ、会津を治めた蘆名氏の一族・猪苗代氏の居城でした。猪苗代湖と会津盆地を結ぶ交通の要衝に位置し、会津へ入る南の入口を押さえる軍事・交通の拠点です。




ここでの千田嘉博先生の解説が、とても印象的でした。
先生がまず強調されたのは、「この城は、地形そのものを最大限に利用して築かれている」という点です。
亀ヶ城は独立丘陵ではなく、ゆるやかな台地の端部を巧みに利用しています。自然地形を削り、盛り、最小限の労力で最大限の防御力を生み出している――これこそが中世城郭の本質だと教えていただきました。


とくに目を引くのが、高く分厚い土塁と、深く鋭い空堀。
千田先生は「土塁は“壁”ではなく“盾”である」と表現されました。石垣のように垂直にそびえるのではなく、厚みを持たせることで矢や鉄砲の衝撃を吸収し、崩れにくく、しかも修復が容易。土の城がいかに実戦的で合理的かを、目の前の遺構で実感できます。


さらに、曲輪の連なりについても解説がありました。
一見なだらかに見える郭の高低差は、実際に歩いてみると想像以上に体力を奪われます。これは攻め手の動きを確実に鈍らせる設計であり、「戦わずして敵の勢いを削ぐ」工夫が随所に施されているとのことでした。
また、摺上原の戦い後、会津の支配者が伊達政宗、そして蒲生氏郷へと移る中で、こうした中世城郭の役割が次第に変化し、石垣を多用した近世城郭へ移行していく流れについても触れられました。
つまり亀ヶ城は、「石垣の城」へと進化していく直前の、完成度の高い“土の城”の姿を今に伝えている貴重な存在なのです。


土塁の上に立ち、空堀を見下ろしながら聞いた先生の解説によって、単なる遺構だった景色が、一気に「戦国の城」として立体的に浮かび上がってきました。


土津神社を正式参拝|会津藩祖を祀る特別な時間
続いて訪れたのは、会津藩祖・保科正之公を祀る土津神社。
質実剛健な会津の気風を築いた保科正之公。その存在が、後の会津武士道へと繋がっていくことを思うと、この参拝は会津の歴史の核心に触れる時間でした。




再び鶴ヶ城へ|石垣から読み解く近世城郭の完成形
ツアーの最後に再び鶴ヶ城へ。
朝に自分の目で見て回った石垣や堀が、千田先生の解説によってまったく違う姿に見えてきます。
蒲生氏郷によって大改修されたこの城は、近世城郭の完成形。
しかしそれ以上に、実戦でその性能を証明した城であることが、強い説得力を持って迫ってきました。




蒲生氏郷の墓を参拝|会津城郭の礎を築いた名将に手を合わせる
ツアー終了後、ホテルへ戻る途中で立ち寄ったのが、興徳寺(蒲生氏郷墓所)です。
会津若松城を近世城郭へと大改修し、現在につながる城の骨格を築いた蒲生氏郷。その墓前に立つと、この日見てきた石垣や堀の意味が、より深く胸に迫ってきました。




ツアーを終えて|城を見る旅から、城を読む旅へ
早朝、会津戦争の戦場となった鶴ヶ城を自分の視点で歩き、
レクチャーで知識を得て、
土の城を体感し、
会津の精神性に触れ、
再び石垣の城を読み解き、
そして蒲生氏郷の墓前でその歴史の原点に思いを馳せる。
「城を見る」から「城を読む」へ。
その感覚がはっきりと自分の中に生まれた、忘れられない一日となりました。



