岐阜城|早朝の岐阜公園から金華山山頂を目指す

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前日は、とくとくきっぷ「3・3・SUNきっぷ」を利用して、伊賀上野城、松阪城、津城、名古屋城と4つの城を巡りました。酷暑の中での城巡りでしたが、名古屋在住の友人との夕食も楽しみ、この日は名古屋で宿泊。そして翌朝、せっかく名古屋まで来たのだから、このまま帰るのはもったいないということで、2日目に向かったのは岐阜県を代表する山城、岐阜城です。

この日の予定は、早朝に名古屋のホテルをチェックアウトして岐阜へ向かい、金華山ロープウェイの始発まで岐阜公園を散策。そして、始発のロープウェイで金華山の山頂へ上がり、岐阜城を訪れるというものです。前日の4城巡りに続いて、2日目も城巡り。今回の城旅は、最後まで「城」で締めくくります。

早朝の岐阜公園へ

名古屋のホテルを早朝にチェックアウトし、岐阜へ向かいます。朝早い時間ということもあり、まだ街は静か。前日の酷暑を考えると、この日の早朝は比較的過ごしやすく感じられます。

岐阜に到着して向かったのは、金華山の麓に広がる岐阜公園。ここは、岐阜城を訪れる際のスタート地点となる場所です。金華山の山頂にそびえる岐阜城だけを見るのではなく、麓にある岐阜公園から歩いてみると、この城の歴史をより深く感じることができます。ロープウェイの始発まで少し時間があるので、早朝の岐阜公園をゆっくり散策することにしました。

織田信長居館跡を歩く

岐阜公園でまず訪れたのが、織田信長居館跡です。

岐阜城というと、金華山山頂の天守がまず思い浮かびます。しかし、織田信長の時代を考えると、この山の麓にあった居館も非常に重要です。

信長が美濃を支配するようになった後、居城を岐阜城に移し、この地を本拠地として天下統一を目指していきました。現在の岐阜公園には、発掘調査によって確認された石垣や庭園跡などが残されています。当時の居館が単なる住居ではなく、来客を迎える場としても非常に豪華な空間だったことがうかがえます。

信長といえば、戦国時代の武将として「戦」のイメージが強い人物です。しかし、岐阜城の麓に築いた居館の遺構を見ていると、信長が政治や外交、文化の面でも非常に大きな役割を果たしていたことが感じられます。岐阜公園から金華山を見上げると、その山頂に岐阜城があります。「ここから信長は山頂の城を見ていたのだろうか」と考えながら歩くと、単なる公園散策とは違った面白さがあります。

「岐阜」という名前と信長

岐阜城を語るうえで欠かせないのが、織田信長です。もともとこの城は「稲葉山城」と呼ばれていました。斎藤道三の居城として知られ、斎藤氏が美濃を治める重要な拠点でした。

その後、織田信長が美濃を攻略し、永禄10年(1567)に稲葉山城を手に入れます。そして城と町の名前を「岐阜」と改めました。「岐阜」という名前には、中国の故事に由来する意味があるとされ、天下統一を目指す信長の新たな拠点として、この地が整備されていきます。

信長は岐阜城を拠点に勢力を拡大し、天下統一への道を進んでいきました。現在、岐阜という地名が当たり前のように使われていますが、その名前を広めた人物の一人が織田信長です。そう考えると、岐阜城は単なる山城ではなく、信長の人生において非常に重要な意味を持つ城だったことが分かります。

金華山ロープウェイの始発で山頂へ

岐阜公園を散策した後、いよいよ金華山の山頂を目指します。今回は金華山ロープウェイを利用しました。始発の時間に合わせて乗り場へ向かいます。

ロープウェイが動き始めると、岐阜公園が次第に小さくなり、金華山の緑の中を進んでいきます。歩いて登ることもできますが、今回は前日の4城巡りでかなり体力を使っていることもあり、ロープウェイで一気に山頂へ。そして、山頂駅から岐阜城を目指します。

金華山に築かれた岐阜城

岐阜城は、標高約329メートルの金華山山頂に築かれています。この立地こそが岐阜城最大の特徴です。山頂からは濃尾平野を広く見渡すことができ、遠くまで視界が開けています。

戦国時代の城にとって、周囲を見渡せることは非常に重要でした。敵の動きを把握するだけでなく、領国内の交通や人の動きを監視することもできます。金華山という天然の山を利用し、その頂上に城を築いた岐阜城は、まさに山城らしい立地です。

現在は天守が建っていますが、戦国時代の岐阜城は、山全体を利用した大規模な城郭でした。山頂付近だけでなく、山の斜面や尾根などにも曲輪や石垣、堀切などが配置されていました。実際に歩いてみると、金華山の急峻な地形そのものが城の防御力になっていたことが分かります。

岐阜城と斎藤道三

岐阜城の歴史を語る際、織田信長だけでなく、斎藤道三も忘れることができません。戦国時代、この地を支配した斎藤道三は、稲葉山城を本拠地として美濃を治めました。

「美濃を制する者は天下を制す」とも言われたほど、美濃は交通の要衝でした。京都と東国を結ぶ交通路にも近く、周辺の勢力にとっても重要な地域です。その美濃の中心にあったのが稲葉山城でした。

後に信長がこの城を手に入れ、岐阜城と名前を変えます。つまり岐阜城は、斎藤道三の時代から織田信長の時代へと、美濃の歴史が大きく動いた舞台でもあります。

織田信長の天下布武

岐阜城を訪れると、やはり「天下布武」という言葉を思い浮かべます。信長は岐阜を拠点として勢力を拡大し、天下統一を目指していきました。

岐阜城から濃尾平野を眺めると、信長がこの地を拠点にして勢力を広げていったことを想像できます。山頂からの眺望は、現在でも素晴らしいものがあります。当時は高層建築物もなく、さらに遠くまで見渡すことができたはずです。

ここから周囲を見渡しながら、信長はどのような未来を思い描いていたのでしょうか。岐阜城は、そんな想像を膨らませてくれる場所でもあります。

天守は改修工事中

今回の岐阜城訪問で少し残念だったのが、天守が改修工事中だったことです。そのため、今回は天守内部に入ることはできませんでした。

それでも、せっかくここまで来たので、天守周辺をじっくり散策しました。天守そのものに入れなくても、金華山山頂から眺める景色や、周辺に残る城郭遺構を見るだけでも十分に楽しむことができます。

むしろ、天守だけに目を向けず、山全体を歩いてみることで「岐阜城は山城なんだ」ということを改めて実感しました。前日に訪れた伊賀上野城、松阪城、津城、名古屋城とは、城の立地も雰囲気も大きく違います。平地に築かれた近世城郭と、山そのものを利用した岐阜城。こうして続けて訪れると、それぞれの城の特徴がより鮮明に感じられます。

早朝の岐阜城ならではの楽しみ

今回、岐阜城を早朝に訪れたのは正解でした。前日の酷暑を考えると、朝の金華山は比較的過ごしやすく、ゆっくりと城跡を見ることができました。

また、朝早い時間帯の岐阜公園は人も少なく、静かな雰囲気。信長居館跡を歩き、金華山を見上げ、そしてロープウェイで山頂へ。普段とは少し違った岐阜城巡りを楽しむことができました。

城巡りでは、どうしても「天守を見ること」が目的になりがちです。しかし岐阜城の場合は、天守だけではなく、金華山そのもの、山麓の信長居館跡、山頂までの地形、そして山頂からの眺望まで含めて楽しむ城だと改めて感じました。

2日間で5城を巡った城旅

今回の2日間の城旅を振り返ってみると、1日目は「伊賀上野城 → 松阪城 → 津城 → 名古屋城 → 名古屋泊」。そして2日目は「名古屋 → 岐阜公園 → 織田信長居館跡 → 金華山ロープウェイ → 岐阜城」という行程になりました。

わずか2日間ですが、合計5城。しかも、伊賀上野城、松阪城、津城、名古屋城、岐阜城と、それぞれに異なる歴史と魅力があります。

特に印象に残ったのは、戦国時代から江戸時代へと時代が移り変わる中で、城の役割や築かれ方も変化していくことです。そして2日目の最後に訪れた岐阜城は、織田信長が天下統一への道を歩み始めた重要な場所。その山頂に立つことで、今回の城旅を締めくくるのにふさわしい場所だと感じました。

おわりに

前日は酷暑の中、4つの城を巡り、名古屋では友人との夕食。そして翌朝は早起きして岐阜へ向かい、岐阜公園から岐阜城へ。さすがに少しハードな行程でしたが、振り返ってみると、とても充実した2日間でした。

岐阜城は天守の改修工事中で、今回は内部を見ることができなかったのが少し残念でしたが、早朝の岐阜公園や信長居館跡、金華山からの眺望など、十分に楽しむことができました。

何より、実際に金華山に登ってみることで、織田信長がなぜこの場所を本拠地として選んだのかを、少しだけ体感できたような気がします。

城は、写真や資料で見るだけでは分からないことがたくさんあります。実際にその場所へ行き、地形を歩き、石垣を見て、周囲を眺める。だからこそ、これからも自分の足でいろいろな城を訪ねてみたいと思います。

千田 嘉博 (著)
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今回の「3・3・SUNきっぷ」から始まった城旅。伊賀上野城、松阪城、津城、名古屋城、そして岐阜城。2日間で5つの城を巡る、思い出深い城旅となりました。